今一度、定時制の教壇に戻る、という決意でやってきた高知県。
でも高知大学教育学部で2年間学ぶうちに、別の道が浮かび、悩みが生まれた。
――生徒が自ら一生懸命になるやり方があるんじゃないか! そんな教育をしたい!
しかし、高校の教員に戻ればクラスを担当することになるだろう、
持ち上がりもあるので、一生の間に向き合う生徒は500人以下だろうか。
であれば、保幼-小-中-高をつなぐ「教育雑誌」を作り、県下を走り回る。
そうすれば、高校だけでなく全ての現場に触れることができる。
その方がどれだけ子どもたちの未来に役立つことか――
でも、そんなことが初めて来た地で、しかもたった一人でできるのか!?
自分には地盤も看板もカバンもない、高知には親戚も知人も誰一人いない…。
悩み、悩んでいたある日、夢の中で声が聞こえてきた。
「だめだったらやり直したらいい、やってみたら…」「きっとできる」
次の日の朝、私は高知で出版社を立ち上げることを決めていた。
この時、思った。
きっと坂本龍馬は「日本の洗濯」を図る策を自ら企画したというより、
単に「天からの声」が聞こえただけなのではないか?
その声に従っただけなのではないか?
高知県は、そういう声が聞こえる地、なんだ。
「ひょっとしたらできるかもしれない」と、そそのかす風土・文化が底辺にあるんだ。
あれから40余年、
脇道に逸れたままの人生になってしまったが、仕事を通して「編集」の技術が身についた。
コロナ後、課題多き未来に向けて最も求められるもの、
それは、現実をよく見、取材・分析し、解決策を編み出す「編集」の技である。
新しい日本をどうつくるのか、教育はどうあるべきなのか!? その答えは簡単ではないからこそ、
日本を編集する! 教育を編集する!
みんな~、高知で洗濯をやろうぜよ!!
出版社設立の決意を固めるため、紅葉の石鎚山に挑んだ。
(写真:くにみつきよし)
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